相談者(60代男性)
自社で長年使用してきた名称について、商標権侵害だという警告書が届きました。調べてみるとその会社は昨年、この名称について商標権を取得したようです。商標出願していなかった当社にも落ち度はあるのかもしれませんが、当社は何十年も前からこの名称を使用し続けてきたので、こんなぽっと出の企業に偉そうなことを言われるのは納得がいきません。簡単に勝てますよね。
回答者:弁理士
商標法上の先使用権は要件が厳しいので、なかなか活用できるケースが少ないです。ここは落ち着いて相手の権利を調査し、その権利の範囲内であるかを分析するとともに、もし相手の権利の範囲内であったとしても、その名称の使用方法や範囲などを取り決めることで解決することも考えられます。また、今からでも遅くないので、大事な名称であれば相手の取得した商品サービス以外の分野で商標出願しておいた方がよいでしょう
自社より後に使用開始した会社から商標権侵害を主張されたら
自社で長く使ってきた名称について、特に商標登録をしていない企業は少なくありません。日常業務に追われていると、商品名やサービス名を商標として保護するという発想そのものが後回しになりがちであり、中小企業では特にその傾向が強く見られます。しかし、名称の使用が市場で定着した頃に、後から同じ名称を使用し始めた企業が商標権を取得し、突如として「商標権侵害だ」と警告してくるケースは決して珍しいものではありません。自社としては「うちの方が先に使っていたのだから問題ないはずだ」と感じがちですが、商標制度の構造上、必ずしもその考えが通用するわけではない点に注意が必要です。
商標制度は、基本的に「先に登録した者が優先される」仕組みを採っています。使用の先後ではなく、登録の先後が法的保護の中心となる制度設計であるため、たとえ自社が先に使用を開始していても、後発企業が正式に商標権を取得してしまえば、形式上は後発企業の方が強い権利を持つという状況が生まれてしまいます。そのため、先に使用していたというだけでは、自社の正当性を直ちに立証できないことが多く、想定外の不利益につながるリスクもあります。
こうした状況に直面すると、自社の経営陣は大きな不安を抱えることになります。これまで問題なく使用してきた名称を急に変更することになれば、顧客への影響、広告・販促物の刷り直し、ブランド認知の損失など、多方面で大きなコストが発生します。また、警告書の内容によっては損害賠償を請求されるリスクも想定しなければなりません。したがって、後発企業からの商標権侵害指摘は、企業にとって経営判断が問われる極めて重大な問題なのです。
そこで本稿では、こうした場面で企業が取り得る具体的な対応策について順を追って解説します。先に使用していたからといって軽視するのではなく、法律的な視点と戦略的な視点の両面から慎重に対応するために、どのような選択肢が現実的かを理解することが大切です。
先使用権はハードルが高い
後発企業から商標権侵害を指摘された際、まず思い浮かぶ反論として「自社の方が先に使用していた」という主張があります。これを法的に位置づけたものが商標法上の「先使用権」です。先使用権は、登録商標よりも早く商標の使用を開始した者が、一定の条件を満たす場合に限り、登録商標に優先してその商標を使用し続けることを認める制度です。理屈としては非常に合理的に感じられますが、実務上の運用ではそのハードルが極めて高く、企業が期待するような形で先使用権が認められるケースは多くありません。
商標法で先使用権が認められるためには、いくつかの厳格な要件があります。第一に、後発企業による商標登録よりも前に自社が当該商標を使用していたことが必要です。これは比較的証明可能ですが、単に使用していたという事実だけでは足りず、その使用が「継続的かつ業として行われていた」ことを資料等で明確に示す必要があります。領収書、パンフレット、ウェブサイトの記録、広告物など、具体的証拠によって裏付けることが求められます。
しかし、さらに厳しい要件が「相当な知名度」です。商標法上は「需要者の間に広く認識されていること」が要求されており、単に顧客が存在するという程度では不十分です。特定の地域で一定の知名度がある程度でも足りず、商標の対象となる商品の需要者層に広範に認識されていることが必要となります。多くの企業はこの要件でつまずき、先使用権の立証に失敗します。特に中小企業の場合、知名度を広く証明するだけの資料がそろっていないことが大半であり、裁判例でも先使用権が認められた例は非常に限られています。
このように、先使用権は企業が思うほど簡単に成立するものではありません。実務的には「証拠が大量に必要であり、しかも高い知名度が要件となる」という、非常にハードルの高い制度だと言えます。そのため、先に使用していた事実を盾にして問題を一挙に解決するという期待は持たない方がよく、実務では別の観点から対策を講じることが現実的になります。
相手の商標権の範囲内かどうか検討する
商標権侵害を主張された場合、まず検討すべきは相手が取得している商標権の「範囲」です。商標権は無限定に保護されるものではなく、登録された商標と指定商品・指定役務の範囲においてのみ効力を持ちます。したがって、相手が主張する侵害がそもそも権利範囲内に該当するかどうかを確認することが、第一に行うべき実務的なステップです。
最初に行うべき調査は、商標登録の内容を正確に把握することです。登録番号を基に特許庁のデータベースを確認すれば、商標の表示、指定商品・役務の分類、権利者の名称などが明確になります。この情報に基づき、自社が現在使用している商品・サービスが相手の指定商品に該当するかどうかを照らし合わせます。もし自社が使用している商品・役務が相手の指定範囲と異なるのであれば、商標権の効力は及ばず、侵害には該当しません。
また、商標自体が類似しているかどうかの検討も必要です。商標の類否判断は、外観・称呼・観念を総合的に比較して行われますが、必ずしも一部が一致するだけで類似と判断されるわけではありません。業界によっては多少の表記の近さがあっても十分に区別可能と認められることがあります。逆に、わずかな違いでも需要者が類似と捉える場合は侵害となる可能性があります。
さらに、自社の対応として、相手の商標がカバーする範囲の商品について取り扱いをやめるという選択肢も考えられます。事業の中心ではない商品が侵害リスクの対象となっている場合、その取り扱いを調整することで紛争を回避し、主要事業を守ることにつながるケースもあります。
権利範囲内に該当しないのであれば、堂々と反論することが可能です。その場合には、商標の非類似や、指定商品の不一致を根拠として書面で反論し、相手に法的正当性がないことを明確に主張することができます。こうした冷静な分析と反論は、紛争を長引かせずに解決させる上で極めて重要です。
使用方法などについて協定を締結する
相手の商標権の範囲内であると判断された場合、次に検討されるのが、どのようにその名称を使用し続けるかという選択です。通常はライセンス料を支払って使用許諾を得る方法が考えられますが、必ずしもすべてのケースでライセンス料が最適な解決策とは限りません。相手企業と直接競合しない業態や商圏で事業を行っている場合には、商標の使用方法について協議し、相互に不利益が生じないように調整したうえで協定を締結するという柔軟な解決策も現実的です。
例えば、自社が関東圏を中心に事業を展開している一方、相手企業が九州圏を主な商圏としている場合、両社は地理的に直接競争しません。このような場合、相手企業としては自社の商標が他地域で適切に使用されることによって不利益を受ける可能性は低く、そればかりか名称の全国的な知名度向上という副次的なメリットさえ期待できます。こうした背景があれば、ライセンス料の徴収よりも、適切な使用ルールを設定する協定を結ぶ方が、双方にとってより利益の大きい選択肢となり得ます。
協定の内容としては、商標を使用する範囲、表示方法、使用できる媒体、対象地域など、細かくルールを定めることが一般的です。また、相手企業のブランド価値を損なわないよう、品質管理の方法についても合意しておくことが重要です。これにより、両社間で不必要な誤解やトラブルを防ぎながら、継続的な使用が可能となります。
こうした協定は、単なる対立回避の手段ではなく、ブランド価値を高める戦略の一環としても有効です。相手企業の権利を尊重しながら自社の事業も維持・拡大するための合理的な選択肢となり、特に長期的な商標使用を前提とする企業にとって強い安定性をもたらします。
商標権を取得する
後発企業に商標を取得されてしまったからと言って、自社が今後一切商標権を取得できないわけではありません。商標権は特定の分野(指定商品・役務)ごとに権利が設定されるため、相手企業が取得した商標の範囲は限定されます。そのため、自社が現在使用している名称について、相手が取得していない分野で商標を取得することは十分に可能です。
企業が長くその名称を使用する意思があるのであれば、商標権を取得することは極めて重要です。名称がブランドとして市場で定着すればするほど、第三者からの権利主張のリスクは高まります。過去に相手企業から権利侵害を指摘された経験があるのであれば、将来再び同様の問題が発生する可能性も高く、同じ問題を繰り返さないための対策が必要です。
商標権を取得するメリットは大きく、まず第一に、第三者による攻撃を受けにくくなるという防御的効果があります。登録してしまえば、自社が商標権者として優先的な立場を得られるため、他社から不当な侵害主張を受けるリスクは大幅に減ります。また、商標権を保有することは事業価値の向上にもつながり、将来的に商談や提携を検討する際の信用向上にも寄与します。
さらに、自社で権利を取っておくことは、現在の相手企業だけでなく、将来現れるかもしれない別の企業への備えにもなります。名称を武器に収益を上げようとする企業が現れれば、商標権を取得して先に攻めてくる可能性は常に存在します。したがって、自社で使用する不可欠な名称については、早期に商標権を取得しておくことが最も確実なリスク回避策となります。
まとめ
自社が長年使用してきた名称について、後発企業から商標権侵害を主張されるという状況は、どの企業にも起こり得る現実的なリスクです。名称を先に使用していたという事実だけでは法的に十分とは言えず、商標制度の原則である「先に登録した者が優先される」という仕組みによって、不利な立場に立たされる可能性があります。したがって、まずは冷静に法的状況を整理し、何が可能で何が困難なのかを正確に理解することが重要です。
先使用権の主張は企業が期待するほど簡単ではなく、高い知名度や大量の証拠が必要となるため、現実的な主張方法とは言い難い側面があります。そのため、実務では相手の商標権の範囲を丁寧に分析し、自社の事業が本当にその範囲に含まれるのかを慎重に検討することが、紛争を迅速に収束させるための基本方針となります。
もし相手の権利範囲内であると判断された場合でも、必ずしもライセンス料のみが選択肢ではありません。競合関係の有無や商圏の違いを踏まえ、双方にとって不利益が生じない使用方法について協定を締結することで、現実的かつ安定した解決策を導くことができます。
さらに、自社が今後も同じ名称を使い続けたいと考えるなら、相手が取得していない分野で商標権を確保することが不可欠です。防御のための商標取得は、現在の紛争だけでなく、将来起こり得る問題への備えとして非常に有効です。重要な名称ほど早期に権利取得しておくことが企業にとって最善のリスク管理となります。
商標の紛争は複雑でありながら、早期の対応によって結果は大きく変わります。自社の権利を守るためには、専門的な知識と戦略的な判断が必要となります。
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