相談者(40代男性)
自身で研究を重ねて特許権を取得しました。これを活用して事業展開していきたいと思います。ビジネスを始めるとなると色々揃えるものが多く大変ですが、成功させるためにどのような点に留意して進めていけばよいでしょうか。
回答者:弁理士
特許権を有するのは大きな強みです。しかし、特許権があれば商品が売れるという単純な話ではありませんあくまでビジネスは顧客目線で構築する方が良いでしょう。そうしたビジネスが成功すると模倣する競合が現れるので、特許権はそうした競合を牽制する防御方法としてまずは活用すべきです。ビジネスが進展し、特許権の改良も進める中で両者が少しずつ近づいていくのが理想です。
知的財産権を取得したので事業化したい
知的財産権を取得した企業や個人事業者から、「せっかく権利を取得したのだから、この知的財産権を活用して事業化したい」という相談を受けることがしばしばあります。特許権や商標権、意匠権などを取得するまでには時間や費用、労力が必要となるため、その成果を事業に結び付けたいと考えることは極めて自然な発想です。また、権利を取得したこと自体が大きな成果であると感じ、それを出発点として新たなビジネスを構築したいという期待を抱くことも少なくありません。
実際に知的財産権には独占権としての性質があります。他者が自由に同じ技術やブランドなどを利用できなくなることによって、市場における競争優位を確保しやすくなります。そのため、知的財産権は企業にとって重要な経営資源の一つであり、自社の強みを支える大きな要素になります。競争が激しい市場では、このような独占的な権利を有していること自体が他社との差別化につながる場面も少なくありません。
しかし、その一方で「知的財産権を取得したから事業化する」という順番で考え始めると、思うような成果が得られないことも数多くあります。その理由は、知的財産権はあくまでも権利であり、それだけで顧客から選ばれる商品やサービスになるわけではないからです。事業として成功するためには、市場で評価され、継続的に購入される理由が必要になりますが、その理由は知的財産権の存在だけでは十分とはいえません。
また、権利を取得した側は、その技術や名称、デザインなどの価値を高く評価しがちです。しかし、市場における評価は必ずしも権利者の認識と一致するとは限りません。権利として優れていることと、事業として成功することは別の問題であり、この違いを十分に理解しないまま事業化を進めると、期待と現実の間に大きな隔たりが生じることがあります。
知的財産権は企業活動において重要な役割を果たしますが、それを事業そのものと同一視してしまうことは避けなければなりません。あくまでも事業を支える重要な要素の一つとして位置付け、その役割を適切に理解することが、持続的な事業展開につながる第一歩となります。そこで本稿では、知的財産権の強みを生かした事業展開の進め方を解説します。
顧客はなぜそれを選ぶか
事業を展開する際に最も重要となるのは、顧客がなぜその商品やサービスを選ぶのかという理由を明確にすることです。どれほど優れた技術や独自性があったとしても、顧客が購入する理由を見いだせなければ事業は継続できません。事業の成否は、顧客から選ばれる理由をどれだけ明確に構築できるかに大きく左右されます。
顧客が商品やサービスを選ぶ理由にはさまざまなものがありますが、その中でも品質の高さは代表的な要素です。品質が安定しており、期待どおりの価値を提供できる商品やサービスは、多くの顧客から信頼を得やすくなります。価格だけではなく、安心感や満足感を提供できることも、選ばれる重要な理由となります。
一方で、知的財産権を保有していることは企業にとって大きな強みではあるものの、それ自体が品質の高さを保証するものではありません。特許権を取得しているから優れた商品である、商標権を取得しているから信頼できる商品であるという評価が、自動的に市場で形成されるわけではありません。知的財産権は法的な保護を与える制度であり、顧客が感じる品質や利便性とは異なる性質を持っています。
そのため、知的財産権の内容が顧客にどのような価値として受け止められるのかを客観的に考察する姿勢が必要になります。権利者自身が高く評価している技術やブランドであっても、顧客が魅力を感じるポイントと一致しなければ、市場で十分な評価を得ることは困難です。
重要なのは、自社の視点ではなく顧客の視点で考えることです。どのような価値が顧客に伝わるのか、どのような点が購入の決め手になるのかを冷静に分析し、その中で知的財産権がどのような役割を果たせるのかを整理していくことが求められます。知的財産権を中心に考えるのではなく、顧客が選ぶ理由を中心に据え、その一部として知的財産権を位置付けることが、事業展開の基本的な考え方になります。
基本はニーズ志向
事業展開の基本となる考え方は、顧客ニーズに注目し、そのニーズを充足することです。顧客は自らの課題や不満、希望を解決してくれる商品やサービスを求めています。そのため、事業を成功させるためには、自社が提供したいものではなく、顧客が必要としているものを提供するという姿勢が欠かせません。
顧客ニーズに応えることは、そのまま顧客から選ばれる理由につながります。市場には多くの商品やサービスが存在していますが、その中から一つを選ぶ際には、自分にとって役立つかどうかが重要な判断基準になります。顧客の立場に立って価値を提供できれば、価格競争だけに巻き込まれることなく、継続的な支持を得られる可能性も高まります。
これに対し、自社技術の高さや独自性だけを前面に押し出しても、顧客がその価値を十分に理解できなければ選ばれることは容易ではありません。技術的に優れていることと、市場で求められていることは必ずしも一致しないためです。企業としては高い技術力を誇りたいという気持ちが生じますが、それだけでは顧客の購買行動には結び付きにくい場合があります。
知的財産権を起点として事業を考える場合には、このようなシーズ志向に陥りやすい点に注意しなければなりません。自社が保有している技術やアイデアを出発点とすると、それをどのように市場へ当てはめるかという発想になりやすくなります。しかし、その過程では顧客ニーズよりも技術そのものに意識が向きやすく、市場との間にずれが生じる可能性があります。
もちろん、シーズそのものに価値がないわけではありません。しかし、事業として成果を上げるためには、顧客ニーズを中心に据えて考える姿勢を維持することが重要です。顧客が求める価値を把握し、それを満たすために技術や知的財産権を活用するという順番で考えることで、事業全体の方向性もぶれにくくなります。ニーズ志向を基本とすることによって、知的財産権も本来の価値を十分に発揮しやすくなり、事業として持続的な成長を目指すための土台を築くことができます。
知的財産権取得の必要性
ここまで述べてきたように、事業展開の出発点は顧客ニーズであり、自社が保有する知的財産権ではありません。しかし、このことは知的財産権が不要であることを意味するものではありません。むしろ、ニーズ志向で事業を進めるからこそ、知的財産権の重要性は一層高まります。事業を継続し、市場での競争力を維持するためには、知的財産権による保護が欠かせない場面が数多く存在します。
顧客ニーズを的確に捉えた商品やサービスは、市場から評価される可能性が高くなります。そして評価されるということは、競合他社もその市場に参入しようと考えることを意味します。もし何らの権利保護も受けていなければ、他社が同様の商品やサービスを短期間で提供し始めることも十分に考えられます。時間と労力をかけて市場を開拓したにもかかわらず、その成果を他社にも容易に利用されてしまえば、先行者としての優位性は急速に失われてしまいます。
このような事態を防ぐためには、自社の強みを法的に保護しておく必要があります。知的財産権は、そのための有効な手段です。独自の技術やブランド、デザインなどを権利として確保することによって、他社による安易な模倣を抑制し、自社が築いた競争優位を維持しやすくなります。知的財産権は市場を切り開くための道具というよりも、市場で築いた成果を守るための防御手段として理解することが適切です。
また、競争が進む市場では、商品やサービスの品質だけでは差別化を維持できない場合もあります。競合他社も品質向上に取り組むため、時間の経過とともに品質面での差は縮まりやすくなります。そのような状況においても、知的財産権によって保護された独自の要素が存在すれば、自社ならではの価値を維持しやすくなります。結果として、市場における独自性を長期間にわたって確保できる可能性が高まります。
したがって、事業は顧客ニーズを起点として考えるべきですが、その成果を継続的な競争力へと結び付けるためには知的財産権の取得が不可欠です。ニーズ志向と知的財産権は対立するものではなく、それぞれ異なる役割を担いながら事業を支える存在であることを理解する必要があります。
ニーズ志向とシーズ志向の融合
事業展開ではニーズ志向を基本とすることが重要ですが、それだけで十分というわけではありません。一方で、自社が持つ技術やノウハウ、研究開発成果といったシーズを継続的に発展させる努力も同時に求められます。顧客ニーズだけを追い続けると、競争環境の変化に対応できても、自社ならではの強みを失ってしまうおそれがあります。そのため、ニーズ志向とシーズ志向はどちらか一方を選択するものではなく、両方を並行して育てていくことが望ましいといえます。
事業を開始する段階では、まず顧客ニーズを出発点として市場に受け入れられる価値を提供します。そして、その過程で得られた知見や市場からの反応を踏まえながら、自社の技術やノウハウをさらに発展させていきます。こうして蓄積された技術や工夫は、新たな知的財産権として保護する対象となり、自社独自の競争力をさらに強化することにつながります。
重要なのは、ニーズ志向とシーズ志向を最初から無理に一致させようとしないことです。事業の開始時点では、顧客が求めるものと自社が持つ技術が完全に重なっているとは限りません。むしろ両者には一定の距離があることが自然です。その距離を認識したうえで、事業活動を続けながら少しずつ両者を近づけていくことが現実的な進め方になります。
この過程では、顧客ニーズの変化を継続的に把握するとともに、自社技術の改良や新たな知的財産権の取得にも取り組む必要があります。市場が求める価値と自社が提供できる価値が徐々に一致していけば、商品やサービスの完成度は高まり、競争力も強化されます。また、知的財産権による保護も、その競争力を長期間維持するための重要な支えとなります。
さらに、このような考え方は、短期的な成果だけを追い求める経営姿勢とも異なります。顧客ニーズを把握しながら技術を育成し、その成果を知的財産権によって保護するという循環を繰り返すことで、自社独自の強みはより確かなものになります。市場から得られる情報と自社の技術力が相互に影響し合いながら発展していくことによって、事業全体の質も着実に向上していきます。
このように、ニーズ志向とシーズ志向は本来対立する概念ではありません。事業の出発点は顧客ニーズに置きながらも、自社技術や知的財産権を着実に育成し、両者を徐々に融合させていくことによって、顧客から選ばれ続ける事業基盤を構築することができます。その結果として、市場の期待と自社の強みが調和し、安定した事業展開を実現しやすくなるのです。
まとめ
知的財産権を取得すると、その権利を活用して新たな事業を始めたいと考えることは自然な発想です。しかし、事業の成功は知的財産権の有無だけで決まるものではありません。知的財産権は競争上の強みとなる重要な経営資源ですが、それだけで顧客から選ばれる商品やサービスが生まれるわけではないという点を正しく理解する必要があります。
事業を成立させるためには、まず顧客が何を求めているのかを把握し、その期待に応える価値を提供することが基本となります。顧客は技術そのものや権利の存在ではなく、自らにとって有益な価値を提供してくれる商品やサービスを選択します。そのため、事業の出発点は常に顧客ニーズでなければなりません。
一方で、顧客ニーズを満たす商品やサービスが市場で評価されるようになると、競合他社による模倣の可能性が高まります。せっかく築いた競争優位が短期間で失われてしまえば、継続的な成長は難しくなります。そこで重要になるのが知的財産権です。知的財産権は市場を切り開くためというよりも、市場で築いた成果を守り、自社の競争力を維持するための仕組みとして活用することが望まれます。
さらに、事業活動を継続する中では、市場から得られる情報を踏まえて技術やノウハウを発展させ、それらを知的財産権として保護していくことも重要になります。顧客ニーズを重視する姿勢と、自社技術を育成する姿勢は互いに補完し合う関係にあり、両者を継続的に発展させることで企業の競争力はより強固なものとなります。
したがって、「知的財産権を事業化する」という考え方ではなく、「顧客ニーズを満たす事業を展開し、その事業を知的財産権で支える」という考え方へ発想を転換することが重要です。事業の主役はあくまでも顧客に提供する価値であり、知的財産権はその価値を継続的に守り育てるための重要な経営資源です。この両者の役割を正しく理解し、それぞれを適切に活用していくことが、長期的に安定した事業展開を実現するための基本的な考え方といえるでしょう。
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